石脇城は、今川義忠の支城で南北に約220メートル、東西に130メートルの範囲であったと推定されています。江戸時代に書かれた書物である「駿河記」によると、文明年間(1469~1486年)に今川氏が伊勢新九郎を住まわせていたと記されており、新九郎が初めて得た城だという説もあります。新九郎が義忠の死後、今川家の家督争いで今川氏親を助けた功績により、現在の沼津市にあった興国寺城を与えられたことで廃城となりました。現在、本丸に相当する部分に大日堂が建設されており、1967年12月4日に焼津市指定文化財に指定された吉祥天立像と不動明王像が祀られています。
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石脇城は、今川義忠の支城で南北に約220メートル、東西に130メートルの範囲であったと推定されています。江戸時代に書かれた書物である「駿河記」によると、文明年間(1469~1486年)に今川氏が伊勢新九郎を住まわせていたと記されており、新九郎が初めて得た城だという説もあります。新九郎が義忠の死後、今川家の家督争いで今川氏親を助けた功績により、現在の沼津市にあった興国寺城を与えられたことで廃城となりました。
現在、本丸に相当する部分に大日堂が建設されており、1967年12月4日に焼津市指定文化財に指定された吉祥天立像と不動明王像が祀られています。